こころは世界のすべてを生むところ
で結局何に困っているかというと
5月に弟が家を出て行きました。隣町にアパートを借りて独り暮らしをしています。で、嫁さんと息子くんは、今も実家に住んでいます。弟が改築費をかなり払って5年ほど前に2世帯住宅にしたおうちです。嫁さんが使っている2階にはキッチンもあるしトイレもあるし冷蔵庫も炊飯器も冷房もあって広いベランダもあるし、完全に2世帯です。水道光熱費はわたしの両親が支払っています。

困るのは、彼女、母や父が外出中に、家の中の消耗品…例えば洗濯洗剤やらシャンプーやら買い置きしてある食料品やらを、父と母が使っている1階から持ってっちまうんです。マイペットボトルに移し替えて。他にも畑の野菜なんかも持ってっちまうんです。

父と母は、日常消耗品をあちこちに隠すようになりました。使ったらすぐに。でもすぐに見つけられて、気付くと空っぽになっているのだそうで、今は缶詰やらお醤油やら油やら乾燥ワカメやら、わたしの寝床である倉庫に隠してあります。

わたしにもシャンプーは使ったらちゃんと自分の寝床に片付けるように、と警告してくれていたのですが、つい風呂場に置きっぱなしにした次の日ですわ、わたしのシャンプーボトルの中身を盗まれて(?)代わりに水が入っていたのは。まだ半分ぐらい残ってたのに。1,200円のシャンプー。やれやれ。

これはもう吝嗇なのではなく泥棒でしょ。同じ家に住んでても泥棒でしょ。

なんか気分悪いです。こんなに平和な国なのに。もしかしてわたしが平和ボケしすぎているのでせうか。は~。

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承前
 
 
ぶっきらぼうに続きからしゃべるね、昨日は弟が2人目の嫁さんを唐突に寝耳に水的に連れてきたって話までしたから、その続きからダ―っと。



繰り返すけどびっくりしたなあマジ、わたしもオカンもオトンも。目が点&口が真ん丸になって固まったもん。特に腰を抜かしたのはオカンですわ、オカンは1人目の嫁さんの顔色をマメに窺っては彼女のゴ機嫌を取ったり日本語を教えたり日本の料理を教えたりしてたし、そもそも彼女を親戚やご近所さんに見せびらかしていたのだから、彼女が出て行った日なんか涙流してたもん、涙の成分が何なのかは分からないけどね、でも相当ショックだったのは確かで。



だってびっくりしますって、弟はコンビニに買い物に行くみたいに出かけて行って、ただいま~とか言って、2人目の嫁さん&その女性の10歳の息子さん、の他、中国人女性と日本人男性を合法的に結び付けるのがやたら上手い結婚相談所の人、計4人で現れて、報告があるとか言い始めたんだから。




で弟の嫁さんになる気満々だった現在の2人目の嫁さんは、その昔、中国人男性の坊ちゃんを産んだ後、どういう経緯かまでは知らないけど日本に移住して日本人男性と結婚をして離婚をしたのだそうで、ここからは少しわたしの推測が入るのだけど……いや当時は推測だったけど今は確信なのだけど……彼女は在留カードを得るために日本人男性とまた結婚したい&結婚相手(今回たまたま見つけたのがわたしの弟だったらしい)に自分の生活費や子どもの教育資金さらに国の親兄弟姉妹への仕送り金を払ってもらいたい、


一方、一昨年の秋、40歳になった弟は、恋愛がどうのセックスがどうのとか、そんなことには実は興味がなくて、むしろそういう計画的な緻密な前戯だとか計画的なナリワイだとかそんなのことには今日が無くてむしろ面倒くさくて、だから恋愛したいとか嫁さんと仲良くしたいとかそんな事務的な手続き?を全て!すっ飛ばして!お父さんになりたい!と願っていて、



それから入籍は速かったね、あ、【早かった】ではなく【速かった】。




それを眺めていた姉としましてはですね、うわ~わたしと瓜二つの弟がまたやらかしてるわ~!と思って不安になったとかいうと語弊があるかもしれないのだけど、わたしと弟はたまたま生まれつき仲がく団結するのが容易で、ついわたしが勝手に弟を慮ってわたしが勝手に心配してわたしが勝手に不安になった、ということで納得していただきまして続きを勝手にしゃべりますが、


わたしから見ると、相性がぴったり合ったというよりは利害関係が運よく一致した感じなのだけど、さっさと入籍したくて仕方のない2人に、親や姉があれこれ助言や進言をしてもちっとも聞かないし聴かないし訊かないし、というのは、結婚相談所の人が弟夫婦の代わりに「このような経緯でお2人は互いに魅かれ合っており彼と彼女のご結婚は双方の同意を得た上で既に決定しております」という話をデカい声で話すばかりなのだし、その話し手は弟や嫁さんや嫁さんの息子さんやわたしやわたしのオカンやオトンがしゃべるとか、そんな余地なんか絶対に作るものか!みたいな勢いでしゃべるのだし、こちらからの質問や言い分を話すタイミングを作ることができなかったのは、プロの弁護士でなければ無理だったのだよ、うん、これは言い訳だし言い訳は恥ずかしいんだけど、恥ずかしくてもいいやもう。しゃべりたいのだから。

ははっ、ついでにもう少し言い訳するんだけど。弟が連れてきた広東省出身の女性にはちっとも興味が湧かなかったのだけど、でも仕事の商談をするときみたいに付焼刃的な北京語with営業スマイルで挨拶をしてから彼女が持ち込んだ冷蔵庫やテーブルやレンジやテレビ他いろいろをトラックから降ろして階段を登って2階に運ぶのも普通に手伝ったんだけど、だけど彼女には北京語がちっとも通じなくてかなり残念で、でもそんなことはどうでもよくて、


可愛かったんですよ、彼女が連れてきた10歳の男の子Hくんが。
わたしの息子Tは今年中学生になったけど、Hくんはわたしの息子Tが小学生の頃と同じように楽しそうにサッカーボールをわたしに向かって柔らかく蹴り放って、そのボールをわたし受け取って返すという単純で短い応答をした瞬間から延々と楽しくて仕方がないという顔をして何となく玉蹴りを続けてしまうんですよわたしと。上手なパスやドリブルやシュートっぽいことをわたしに披露できると普通にドヤ顔をするのがまた何というか…かぐわしく。

こんな記述こそ本当にどうでもよいのだけど、弟の嫁さんの息子であるHくんは、現在中学2年生のわたしの息子Tの小学生のころ、にそれはそれは実にそっくりで、あ、さっきもこれ言ったっけ、しつこくてゴメンだけど、やっぱかわいいんですよ、小学生が15時の気温36度の中というクソ暑い時間に学校からアスファルトを数キロ歩いて俺の家?に帰ってリビングにランドセルをポイっと放ってとりあへず水道水を1リットルぐらい飲んで飲み終わった数秒後に友達と遊んでくると言って家を出てメダカやフナやトカゲやカエルやザリガニやカメやドジョウを狩りに行く姿だとか、さうして仲間と一緒に長時間その獲物?を眺めた上長時間友達と何度策略を立てて何度も実行の内容を話し合い決まったことを実行してそれで失敗した場合はまた話し合いをやりなおして、さういう作業を何度も何度も繰り返し、お互いがそこそこ共通点をふくらませ、そこそこ妥協し合った結果、お互い納得し合った行動をして、共同作業をした結果、一緒にそいつらを仕留めることに成功した友達を、ドヤ顔でわたしの実家つまりオカンとオトンと弟の住処に連れてくる彼は可愛い、うん、文句無しでかわいい、実にかわいい、現在11歳の甥子?と呼んでいいのかなあ…はて。


それで、民法上わたしの弟の養子つまり弟の実の息子として認知されたHくんは、弟と広東省出身の嫁さんが役所の事務手続きを機械的に終えた次の日から、わたしの母校である小牧市立AJOK小学校に通うやうになりまして。



いや彼は日本人とは違って馬鹿正直ではなくてひねくれているところもあって近所の女の子に怪我をさせたり相手を選ばずに暴言を吐いたり隣のマンションの住民の共有部分を破壊したり、それから他には、わたしにも弟もオカンにもオトンにも弟にもイタズラをされることがあったのだけど、まあ子どものすることだからと思って、普通に叱って済ませてて、


それでね、わたしに叱られたHくんは素直に反省するのだし、叱られたら反省するのだし、日本人にとっては当たり前の公序良俗だとか社会通念だとかを少しずつ覚えてくれるのだけど、


あ、今わたしが困ってることを話したいのだけど、今日はこれでおしまい。続きはまたしゃべるね、うん。


まだわたしが現在困っていることを何も話せずにいるのだから、続きは絶対しゃべるよ、これから腹ごしらえして眠って明日の朝元気だったら機関銃みたく続きしゃべる、うん、それぢゃ、ゴハンいただきます&食べ終わったらコーヒー飲んで歯を磨いて風呂に入って寝ます明日の朝だいたい6時14分ぐらいまで寝るわ、ほな、いただきます&お疲れ様でしたみなさまもわたしも&また明日おはようって言うわ、おやすみなさい、はい。
 
 



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困ってる
久しぶりに描いてみるわ~最近の記録とか馬鹿正直に。


わたし今年の5月24日からまた精神科の閉鎖病棟に入院してて、あ、ちょうど2ヵ月前の今頃ね入院したのが。こういうの苦笑するしかないっしょ。2ヵ月前は苦笑とか作り笑いとかそんな高度な業ちっともできなかったし、そもそも目を開けるのが面倒くさくて、たいてい寝たふりをしてベッドに転がってた。

7月10日に退院して、今は相変わらず実家の倉庫でコソっと生活してて、倉庫には冷房とか無いからちょっと暑いんだけど冬に寒いよりはずっとマシだし、病院と違って週に3回も風呂に入れるし焼き立てのトーストも食べられるしコーヒーも飲めるし、鋏で髪を切ったり包丁で野菜を切ったりできるしカミソリで腕や脚の産毛を剃ったりもできるし、自分で自分の預金を引き出せるしお金を持ち歩けるし自分で自転車に乗って買い物もできる、いや~解放的で刺激があるってのは恐ろしく疲れるね毎日。1本114円のビールもどき毎日3本飲んじゃうし、3日に1回ぐらい夜中にスイーツ食べちゃうし、でもまあ怒りすら感じないよりは生生しくていいかな。



長すぎる前置きはこれぐらいにして、困ってるんですよ今。
本当は16年前に結婚して家を出たわたしが実家に戻って倉庫に住まわせてもらってるのがおかしいのだから、実家のあれこれに対して文句とか愚痴とか言えないんだけど。
___________

弟の2人目の嫁さんがね、9か月前に小学生の男の子を連れて弟と結婚した嫁さんがね、わたしの実家に棲み始めたんですわ、


つかこの話、初めから説明していい?
OKもらわなくてもしゃべるわとりあえず、わたしがしゃべりたいし聞いてもらいたいからしゃべるよ、順番が滅茶苦茶になっちゃうかもしれないけど。


わたしと同じ精神障害2級の弟がね、40歳のわりといいヤツでね、一昨年まで独身だったんだけど、結婚してないと恥ずかしいみたいな結婚しなくちゃいけないみたいな結婚してないヤツは一人前じゃないみたいな、だから独身のオレは恥ずかしいみたいな、大昔の化石っぽい慣わし?あるいは前世紀の何となくの一般的社会通念?に捕まっちまって逃げられずにいて? しょっちゅう結婚相談所に多額のお金を払ってお見合いしてたらしいんすよ3年ぐらい前から。それで、現在の収入だとか立場だとか地位だとか労働形態だとか容姿だとか、あれやこれやの理由で、日本人女性や日本の結婚媒介人からさんざん拒否されて、それから彼は外国人の女性を紹介してもえるところに通い始めたの、入会金は男性200万円で女性は無料で、女性登録者のほとんどが中国人の結婚相談所。

彼の1度目の結婚は一昨年の今頃で、相手は黒龍江省出身の美人でした。もちろん弟はものすごく喜んでいたし、それよりも彼およびわたしの母親が嬉しそうだったね、息子の嫁だと言って得意げにご近所さんや親戚たちに見せて回ってた。
彼女はロシア人みたいな美人で、働き者で、朝から夜まで近くの工場で働いて、夜は家で料理や洗い物をした後日本語の勉強をして、休みの日は日本語を習いに行くような人で、わたしの両親を父さん母さんと呼び、わたしを姉さんと呼び、仲良くしてくださいアピールが上手な人でした。ただ彼女の夫になったわたしの弟のことは結局受け付けることができなかったようで、入籍してから3ヶ月で彼女は出て行きました、何のトラブルも無く離婚が成立して彼女は国に帰還しました、ケチきらいとか言ってた。弟は離婚できてホッとしてたね。

こうして2年前にようやく1人目の嫁さんと結婚して1年9カ月前に1人目の嫁さんと離婚していささかホッとしていた弟が、2人目の婚約者(←事後報告)を実家に連れてきたのが10ヶ月前ですわ、驚いたねマジ、だって結婚相談所に払う200万、2年以下で貯めちゃったんだから、つか、また結婚する気になれること自体に驚いたね。


なんでそんなに結婚したいかなあ。
なんでわざわざいろいろ犠牲にしてまで地獄に飛び込みたがるかなあ。







あ、今わたしが困ってること話そうと思ったんだけど、続き明日しゃべるね、おなかすいたし眠いから今日はしゃべるのおしまい。



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哲学屋のカシラ様へ。

こんばんは、ブラジュロ~ヌさん。
教えてgoo! あるひは OKwave でお世話になってをりますneutralingです。
___________


拝啓 若葉の候、ブラジュロ~ヌ様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申しあげます。

by the way,
教えてgoo!でのブロックをそろそろ解除していただけないでしょうか。

そもそもなぜ僕をブロックし続けるのか、その理由を、僕にも納得できるよう、明白に説明および証明していただきたい。

【喪の作業】というのは、(生きてゐる人間であれば)誰でもしてゐるはづです。自分あるひは隣人の生病老死を経験する確率は100%ですので。
僕はフロイトにも同意しかねますが、貴方にも同意しかねます。

むしろ【釣り合い過ぎていた】場合にこそ、【喪の作業】が必要になるのではなかろうか。決して無駄な作業ではなく、明日も僕が生きてゐる為に必要な作業なのではなかろうか。期待した報酬を受け取ることが叶わなかったからではなく、お互いがお互いに、無駄な期待もせず、無駄な要求もせず、相手の話を喜んで傾聴し、自分の意見を話すこともできた、そんな相手を失ったときにこそ、【質の高い喪の作業】ができるかどうか、が問われます。別の言葉では、どれだけ速やかに僕が過去を整理したいか、どれだけ速やかに僕が次の行動を起こしたいか、などによつて作業の密度や効率も変わりますし、その作業に使う時間も変わります。僕はわりと時間が短いほうだと思ひます。


すみません、実はもっと続きを話したいのですが、ブロックされてゐることですし、明日も職業訓練校に通ひますので適当に端折ります。
結局のところ、自分のリビドーは適切な方角に向けて発することができていたのか。また、僕のリビドーを受け取ってもらひたい相手が(僕の場合は高校生の娘と中学生の息子ですが)、僕に【関心を持ってゐるかどうか】です。

残念ながら僕は誰からも邪魔者扱いされ、人として扱われることは滅多にありません。こんなときは、我慢などしなくてよい。布団を被つて気が済むまで、大声で泣き散らしたらよろしい。

さらに残念ながら、そのやうな幸運な【分岐点】=【喪の作業】に気付くことすら出来ない御仁がおられます。

すみません、明日も職業訓練校に通ひますので、中途半端ですが、これで失礼いたします。あなたが僕をブロックするのを辞めてくださると大変幸運です。おやすみなさい。


___________


Post Script.
僕は自分が生きること・活きることを最優先にしてをります。ですから【喪の作業】としつかり向き合ひ【けり!】を付けるのは極めて大切な作業です。

別の言葉では、現在の僕にとって【不要なものを捨てる】作業をしつかり遂行した上で、新しいご縁を大切にし、それを僕の人生に活かすことに、僕は力を注ひでをります。



仕事を行う上での【5S】といふのがどこの会社にもあります。
S1.→整理
S2.→整頓
S3.→清潔
S4.→清掃
S5.→躾(S1.~S4.を習慣付ける)

この【5S】と云ひますのは、どこの会社でも入社1日目に、耳にタコができるほど叩き込まれますが、僕は、この【5S】は間違ひではないと思ひます、といひますかむしろ感心してをります。
特にS1.の「整理」は、僕だけでなく、全ての【生きてゐる人間】にとつて、常に大切なことだと思ひます。これが貴方の仰るところの【喪の作業】に該当し、また、全ての【生きてゐる人間に必要な作業】だと思ふのですが、ご反論・ご批判があれば、いつでもコメント欄にどうぞ。


あなたは、なぜ【喪の作業】は不要であると思ふのですか?
残念乍らご質問文に説得力が無さすぎます。
もつと貴方が納得できる回答を得ることができ、また不特定多数の人間が納得できるやうな問いを立て直していただきたい。

平静29年4月15日(土曜日)19時56分 
瑞浪 瀬里香


 
 
 
 

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2016年10月の記録
今回はできるだけサラッと書きます。でもたぶん長いけど。



◇10月1日
月経開始。これが始まる1週間前あがりから頭も体も重いのだけど、始まってしまえばスッキリする。


◇10月2日
500円玉と障害者手帳を持って市営スポーツセンターへ。相変わらず気持ちいいのなんのって。踊るのもダンベルでトレーニングするのも。今月から障害者手帳を提示すると、半額で施設が利用できるようになりました。1日券が740円→360円に、1ヶ月パスは、3600円→1800円に。何と、1ヶ月、1800円で朝から晩まで毎日使い放題。
でも今月は予定が多いので定期券は買わないことにしました。夜中に過食の発作。


◇10月3日
せっかく失業中なので(?)、歯科に行っておこうと思い立ち、予約して受診してきました。新しい虫歯は無いのだけど、古い詰め物が剥がれているところを順番に直し、それから全体を掃除して着色を綺麗に落としましょう、ということになりました。笑わない人はあまり好きではありません。でも笑ったときに歯が汚いのも残念だと思いません?僕はコーヒーもワインも飲むしタバコも吸うから、すぐ色素が沈着するんですよ。辞めるのが一番なんですけどね。


◇10月5日
職安に行って2度目の失業認定を受けました。ときどき職安の駐車場あたりで、職が見つからなかった人に声をかけ職を紹介したがる若くて美人の女性の2人組が出待ちしています。「職は見つかりましたか?」と訊かれたので、「障害者枠で探しています」と答えると、2人組は目配せをして去って行きました。


◇10月6日
息子の授業参観に行きました。5時間目が始まる10分前に教室の前に着いた僕に、サッカー少年団のメンバーを始め多くの子どもたちが「こんにちは。」と挨拶してくれました。うれしかったです。最高のご馳走です。
授業内容は、丁寧語・謙譲語・尊敬語の使い方(国語)でした。僕も勉強し直さなくちゃいけないなあ。息子と一緒に家に帰り(?)、近所のスーパーで4つで100円のプリンとか1つ100円のフルーツを3種類買って、安上がりなパフェを作りました。息子はとても喜んでくれました。

◇10月8日
2回目の失業給付金が振り込まれました。


◇10月9日
大垣市で毎年開催される定例の祭を見物しに行きました。息子たちの小学校の鼓笛隊が歩行者天国を歩くのを、ずうっと見つめていました。穴が開くほど見つめていました。待機時間も含めて2時間ぐらい。沿道の人の邪魔にならないよう注意しつつ、僕も息子たちと一緒に歩きました。寒い日でしたが、演奏・演技しながら長い距離を歩いた彼らは、汗まみれでした。終わったあとの誇らしげな表情たちがまた素敵でした。


◇10月10日
娘の所属する吹奏楽部の演奏会に行きました。娘の指示通り(?)目立たないよう黒いシャツと黒いズボンで会場に行きました。入り口で受け取ったパンフレットを開け…る前にしばらく表紙を眺めました。娘が描いた表紙のイラストが素敵だったからです。
開演まで少し時間があったので、曲目や曲の紹介文やパートごとのメンバー紹介などを何となく読みました。たいてい毎年、
第一部:クラシック、
第二部:その年のテーマを決めて選曲、
第三部:演歌やJ-POP他、ノリの良い曲、
という構成になっています。
さて開演。感想はアンケート用紙にびっしり書いたので省略します。今年の第二部は、映画音楽特集でした。ジョーズからのゴッドファーザー愛のテーマからの…!…といった具合にギャップの激しい曲がテンポよく繋がっていくという濃厚なものでした。光の演出もあり(会場が赤や黄色やブルーに変わるんです)臨場感がすごいのなんのって。最高の芸術でした。第三部のオリンピックメドレーや演歌も楽しませてもらいました。
ははっ。感想は省略とか言って結局しゃべってるし。
そうそう、35種類ものパーカッションによる多彩な色付けには本当に感激しました。
2年半、母親不在にも拘らず、自分でお弁当を作り、夏休みも冬休みも土日も、毎日練習し全力を出し切り最高の舞台を披露してくれた娘へ。お疲れ様でした。また娘を瞑想者…もとい迷走者…もとい名奏者にしてくださり、淑女にしてくださった顧問の先生や先輩や後輩や仲間や保護者様にこころから感謝します。


◇10月11日
一人でプチ旅行に行きました。翌日は昼過ぎまで寝込みました。夕方接骨院に行った後、内科に行って喘息の吸入薬を出してもらいました。税金いっぱい使ってごめんなさい。昔から喘息持ちで、イネ科の花粉、苦手なんです。

◇10月17日
2回目の歯科受診。前歯がずいぶんキレイになりました。


◇10月19日
大垣の精神科で定期診察を受けました。最近、毎回毎回、書類を書いてもらっています。この日は就労に関するDr.の意見書。精神障害を持つ僕が、どれぐらいの頻度でどれぐらいの時間、労働できるか、どのような配慮や援助が必要かを書いてもらい、職安に提出しなくてはならないからです。希望通り、一般企業でのフルタイムOK、と書いてもらいました。他、いろいろチェック項目があり、一番下に必要な配慮が書かれていました。あいまいな指示ではなく明確な指示が望ましい、マルチタスクには不安がある、のだそうです。


◇10月20日
春日井市内で行われる就労支援セミナー(面接対策コース)を受けにいきました。往復30km程度なので、チャリで行くことにしました。10時開始。テキストを使っての説明の後、実際、模擬面接までしてもらえました。僕は正社員になったことがなく、バイトの面接やスポーツ施設のオーディションぐらいしか受けたことがないので、正式な面接というのはこういうものなのか!と激しくびっくりしました。しかも模擬面接は15分程度でしたが、実際の面接は一般的に40分だと聴いて軽く縮み上がりました。面接官からのフィードバックによると、僕は答えに困ると天井を見てしまう、他、もう少し志望動機を明確に話すように、とのことでした。
さて、セミナーが終わって外に出ると空が!oohhhH! コバルトや水色を通り越した透明な深いブルーだったので僕は「嫌だ!おうちに帰りたくない!」とは言いませんでしたが、チャリにまたがって適当にサイクリングすることにしました。小牧市→春日井市→多治見市。金木犀味の空気がうまいのなんのって。途中、チャリがやたら重いので、タイヤを触ってみると空気圧が低い。すでに山奥だったので民家もないし自転車屋もなく、僕はママチャリでガソリンスタンドに突入したのでした。車用の空気入れで快く空気を入れてくれました、プシュ~っと。しかも「お気をつけて。」だなんて、感激しましたってば。
帰り道はラクでした。山から下るのだから、ほとんどペダルを漕がなくていいんです。気持ちの良い1日でした。走行距離は60kmぐらい。


◇10月21日
Dr.に書いてもらった書類を持って、またまたチャリで職安へ。障害者枠だとフルタイムの募集がほとんどない上、実務経験がないと、まず採用されないというような説明を受け、僕は職業訓練相談を受けることにしました。僕は職種には特に拘りはないのだけど、まるっきり未経験の一般事務を希望しています。
誰か今、失笑あるいは苦笑しましたか?いえ苦笑しているのは僕です。まるで未経験の中年が畑違いのことを始めようとしているのだし、それに動機が限りなく希薄なんだから。安定した環境で安定した収入を得たいだけなんだから。
さて職業訓練相談を受けた結果、3日後にどこそこの学校でビジネスPCマスター科の説明会があるから行ってくるようにと言われ、分かりましたと言って職安を出ました。
この日はもう一つ用事があり、そのまま小牧市役所に向かいました。岐阜県の精神科の窓口で支払ったお金を、愛知県から還付してもらう手続きをしました。税金いっぱい使ってごめんなさい。
2日間すっぴんでサイクリングした結果、すっかりウェルダンになりました。走行距離は30kmぐらい。


◇10月24日
職安で言われた職業訓練校の説明会に行ってきました。往復30km程度なので、チャリで出かけました。あまり老化したくないので、この日は顔だけちゃんとUVカットしました。家からの所要時間は65分。電車でも車でもほとんど変わりません。説明は30分で終わりました。MOS検定に合格するための実技の他、45時間の学科があり、ビジネスマナーやコミュニケーション・表現方法・身だしなみ・敬語について・効果的な就活法・履歴書や職務経歴書の書き方などが学べるのだそうです。またキャリアコンサルタント技能士が在中していて、相談もでき、求人紹介もあり、企業説明会も受けられるそうです。
何もしないのが一番よろしくないと思った僕は、説明会の帰りに職安に行って、願書を提出しました。来月、入校審査を受けることになっています。
夕方、3度目の歯科受診して、家に帰ると外国の小さな島から郵便物が届いていました。遠い親戚からの委任状でした。彼が委任状を投函してから僕の手元に届くまでに1ヶ月かかりました。



◇10月25日
前日に届いた委任状を持って、隣の市の市役所へ。チャリで行ける距離でしたが、土砂降りだったので仕方なく車で行きました。家から最寄り駅まで徒歩7分、役所は駅から徒歩数分なのですが、僕は電車が苦手ですので。
送り主さんとはフェイスブックで知り合いました。彼が親戚であることに気づいたのは先月のことです。出身中学と出身高校が父と同じだし、歳も父と1つ違いだったので、彼を知ってるかと父に聞いてみたところ、よく知っているどころか遠い親戚だと教えてくれました。
送り主さんはある国の小さな島にリタイアメントビザで住んでおり、その国に家族がいるそうです。日本の年金を受け取りたいのだけれど、大使館では手続きすることができず、日本に行って戸籍謄本を取ってくるように言われ、でも日本に行く交通費がないのだそうで、僕が代わりに役所に行って、戸籍謄本をその島に郵送することになっていたのでした。
役所の窓口の人が親切で融通の利かせてくれて助かりました。委任状に印鑑がないと受理できないので出直してくださいと柔らかく言われたのでした。僕は近所の100円ショップで依頼主の苗字の印鑑を買って、記入台でコソッと押して、再度窓口に提出したのでした。これ犯罪ですかね。
無事、戸籍謄本3通を受け取った僕は、そのまま郵便局に行こうと思ったのですが、すでに営業は終了している時間でした。


◇10月26日
郵便局に行って重さとサイズを計ってもらい、郵送の手続きを済ませました。その国まで何日かかるか訊いてみたところ、なんとたったの2日なのだそうです。その国に届いてから、その島のその場所に届くまでに相当な時間がかかるんですね。僕が取ってきた戸籍謄本が役に立つと喜びます。


◇10月28日
朝から夕方まで、就労支援セミナーを受けました。この日は10時からの「一般コース」と14時からの「応募書類作成コース」。
午前中の一般コースはスーツ姿の男性が3割ぐらい・スーツ姿の女性が2割ぐらい・僕みたいなトレーナーにGパン姿の人が半分ぐらいでした。
有効求人倍率などの説明もありましたが、最も低いのが一般事務、最も高いのが保安(警備員など)と福祉(介護士など)ということでした。体力と営業スマイルだけが取り柄の僕にぴったりぢゃないですか。警備員とか介護とか。一瞬その仕事しちゃえば?と僕に誘われたのですが、求人倍率が高い=離職率が高い、何故なら…というのは体験済みなので、もう少し考える時間と訓練する時間を伸ばすことにしました。基本コースで最も印象に残った言葉は、「企業は役に立つ人間を求めている!」でした。当たり前のことですが、僕にとっては新鮮で、頭から氷水をぶっかけられた気分でした。他、参考になったのは、職安を通しての再就労が3割弱、6割は人脈を使っての就労だということです。だから元職場の人や、飲み友達や、同級生などをできるだけ多くリストアップして、積極的に接触し、情報を提供してもらうことが大切なのだそうです。このような発想はまるで無かったので目から鱗でした。市役所と郵便局と商工会議所に小学生のときからの同級生がいて、毎年一緒に酒を飲んでいるので、連絡を取ってみます。
他には「ダイレクトアプローチ」というのもいいですね。直接、お店や施設や企業に電話をかけ、あるいは赴いて、ここで働かせてください!というものです。僕は今までほとんどダイレクトアプローチで仕事をもらっていたのですが、職安に通い始めてからすっかり忘れていました。

午後からの応募書類作成コースは全員普段着の女性でした。20代の方もいましたが、50代・60代の方が多いことにびっくりしました。僕?技術職や販売業だとそろそろ年齢制限に引っかかる場合があります。苦笑。
こちらもテキストを使った説明の後、実際「志望動機欄」を書き、添削してもらいました。この欄は、今までどのような仕事をしてきた結果このような能力を身に着け貴社で自分の能力を是非活かしたい!と書くところです。この欄が最も重要なのだそうです。
受講者ひとりひとり、希望職種もバラバラで、今まで携わってきた職もバラバラでした。元保育士さんだったり、元介護士さんだったり、元事務員だったり、元インストラクターだったり、半年前に大学を出たばかりだったり。また、今までと同じ職種を続けたい人もいて、まるで畑違いの職に就きたい人もいて、何でもいいから仕事を下さいという人もいました。
僕は自分の履歴書を書きつつ、添削を受けつつ、指導員が他の受講者ひとりひとりに投げかける言葉を耳をダンボにして聴いていました。全て参考にしたかったので。
いやはや感激しました。飲食店を希望する人には「飲食店において【大切なこと】【要求されること】は何ですか?」という質問から入り、受講者に考えさせ、たとえば「安全・安心・笑顔・言葉遣い」などという答えを本人から引き出すよう誘導するんです。次に今までどのような経験をしてどのような能力を身に着けたのか、応募先で何をどのように活かしたいのか、とまた質問なのです。
僕の場合はまるで未経験の職種を、しかも正社員で希望しているということで、ことさら丁寧な質問や応答のやり取りをしてもらって、後は自分で書くようにと指示されました。
___________

☆何年間どのような仕事をしてきましたか?
→7年間飲食店のホール及びカウンタースタッフとして働き、結婚・出産の後、スポーツインストラクターの資格・JFA審判員・日本体育協会認定指導員の資格を取り、家事や育児をしながら、10年間スポーツ施設で働きつつ、ボランティアとして学校で4年間サッカーコーチをしていました。

☆どのような能力を身に付けましたか?
→1.することがたくさんある中で、効率よく物事を進めるため、常に優先順位を考え決断し、ひとつひとつ確実に遂行します。つまりマルチタスクに対応できます。
→2.お客様あるいは児童が、安全かつ効果に、しかも楽しく運動できるよう、常に全体を観て状況をを分析し、問題点を洗い出し、速やかに解決・反映する能力を身に付けました。

☆どのような成果を上げましたか?
→スポーツ施設では集客数を1年で110%に伸ばし、またサッカーチームのメンバーの意識変革を行い、県大会出場を果たしました。

☆事務職に大切なことは何ですか?
→効率よく、正確で丁寧で迅速な処理ができることです。技術の他に、集中力と気力が必要です。

___________


☆そうですか。それではあなたのその能力が応募先に伝わるよう最善を尽くして書いてください。
→はい!

僕は元指導員として、この日の指導員の姿勢に感動しました。だって僕はたった数分の対話の後、自分で【志望動機欄】を明確に書くことができてしまったのだから。つまり彼は僕の能力を引き出し、表現させてくれたのだから。

彼は昭和40年代後半に就職したそうです。僕の親父と同年代です。当時は就職さえすれば企業側が人を育てるぐらいの余裕があったし定年まで当たり前のように働くことができたけれど、現在はそのような余裕が企業にはない、だから即戦力を求めている、だから自分の持っている能力は相手に伝わる言葉で出来る限り伝えなくてはならない、と言いました。また、書類選考で却下されたら面接さえしてもらえず、それで終わりだと言いました。だから応募書類の作成に当たっては最低100%以上の実力を発揮し尽くさなくてはでなくてはならないと言いました。
すべて正しいと思います。しかも僕が感心したのは、60代後半であろう彼が、【時代・状況の指示】に敏感に反応し従っているという点です。
講義が終わった後、質問も兼ねて少し雑談をしたのですが、僕が生まれた頃(つまり指導員さんが就職した頃)は、住所はもちろん、どの新聞を読んでいるのか、どの宗教団体に入っているのか、親はどのような仕事をしているのか、など、ずいぶん詳細に答える義務があったのだそうです。このような話も始めて聞きましたから、わりと派手に驚愕しました。
さらに、こんな歳になって異業種に転職しようとしている不安だらけの僕に、指導員さんは、【脳力のなんたるか】を僕にも分かるやうに説明してくださった上、さらに、その能力は職種を問わず活かすことができる、それが【企業の求める能力】であり応募動機である!と、これまた分かりやすく大きな声で説明してくれたのでした。不安99%だった僕は、半分ぐらいが希望に変わり、明日も情報収集や自己啓発に励もうと思って家に帰ったのでした。
希望を着て家に帰ってサラダを作っていた僕は、父親に睨みつけられ盛大な溜め息を吐かれ舌打ちされたのでした。やはり無職の中年の娘が家でゴロゴロしているというのは気に入らないのでせうね。自分は毎日汗水垂らして働いてゐるのだから、僕の存在自体が気に入らない、いや受け入れられないのでせうね。
希望を着て家に帰ったのに、父の睨みつけや盛大な溜め息や僕に対する舌打ちなどを受け取って処理している間に、僕がパンクし、盛大な言語戦争が勃発したのでした。普段は冷戦状態を保っていたんですけどね。これ以上のゴミを受け取るのは僕の仕事ではないのです。僕は父のオカンではないのです。だから僕は父親に「僕に八つ当たりするのを少し控えてもらえないか?」と言いました。
たしかに実家の倉庫という住処を僕は与えてもらっているのだし、食料も恵んでもらっているのだから、感謝・す・べ・き!なのが父にとっては望ましいのですが、そして僕は生まれつき、父や母の思い通りの人間になろうとしてきましたが、無理だし無駄な努力なんですよ。だから放棄することにしました、他人の望み通りのラジコンカーあるいはお人形になることに必死になっている自己肯定感の極めて低い僕を、僕が嘲いたくなり蔑みたくなり、殴りたくなったのです。
気晴らしに、泣きながら近所のステーキ屋に行きました。予算は1974円で美味しいお肉を単品でオーダーしたいと言ったら、店長さんは電卓を何度も弾いて僕の要求に合った商品を提供してくれました。その店長さんの労働態度に感動し、だいたい僕の涙は止まりました。しかし僕は父や母のような人たちとできれば永久に会いたくないし口もききたくない僕は、勢いで質疑応答サイトに質問を投稿しました。何年も前から何度も投稿しようとして、何度も言葉を飲み込んできた質問です。


◇10月29日
母親から文句と愚痴と嫌味をさんざん聴かされました。と言っても僕は聴覚を作動させないようにしています。特に、自分たちは高齢であり貧乏であるにも係らず、稼働年齢層なのに失業生活をタラタラと続けている役に立たないの中年娘の世話を【してやっている!】話はしょっちゅう聴いていますが、そのような話は僕が真剣に聴いても意味が無いと判断したからです。僕は「適切な要求ができないならせめてしゃべるな」と言いました。


明日は息子のサッカーの試合が観たいので早起きして隣の県のグラウンドに行きます。一度、小牧から大垣市までチャリで行きたいと思ってはいるのですが、さすがに1日で往復するのは無理なので、明日は車で行きます。往復90km。



以上、10月の記録を例によってバカ正直に書きました。サラッと書くと言ったわりに、やっぱり長い。健康状態はぼちぼち。めちゃくちゃ元気というわけでもないけれど、なんとか生活しています。就労するための体力を維持するため、なるべくお天道様と一緒に体を動かし、気持ちよい疲労と一緒に、日が変わる前に眠るようにしています。
摂食障害の発作は、今月6回。5日に1回というところ。こんなものだと思います。これからも僕は症状と付き合って生活します。この症状は僕の大切な表現方法だから。人に何かを伝えるものではなく、僕が僕自身のために人に迷惑をかけずに僕を表現するための症状なのだから。この歪な表現方法があるから僕は生きていられるのだから。人は表現しないと死んでしまうのだから。
そうそう、今月から真面目に家計簿を入力することにしました。スマホで無料の家計簿アプリをダウンロードして、何に幾ら使ったかを入力するだけ。勝手に円グラフになってくれます。僕の無駄遣いは、以下の通りと判明しました。
その1.ビール代とタバコ代。
その2.スマホの利用料および機種代のローン
その3.う~ん。まあ他は微々たる金額だしドングリの背比べ



以上、10月のバカ正直な記録でした。もし、読んでくださった方がいたら、お読みいただきましてありがたうございました。誤字脱字は特技ですので、ここでは大目にみてください。仕事ではミスのないように遂行しますから。笑。

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生きてるよ
毎晩これくらい一息に飲みます。
処方された通りに飲みます。
わたしは明日もこの社会で
生きたく、
そのためにこれぐらいの薬たちが
必要だからです。

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3分前に飲んだのでもう寝ます。
おやすみなさい。

明日は春日井の職安に行きます。
就労支援セミナーを受けに。

天気が良さそうだから
家から往復30kmぐらい
自転車でぷらぷら~っとします。

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2016年9月の記録

最近滅多に記事を書かないのですが、珍しく今日は2つ目です。いつも通り長いです。


何をしていたか覚えてゐない日もありますが、思い出せる範囲で普通に記録しておきます。見苦しいかもしれませんが、ここは僕が何を話してもよい僕の安全基地ですので正直に淡々と書きます。ミサイルは歓迎しますが、ツバを吐きかけるのはご遠慮ください。




◇8月31日
久しぶりに、実に久しぶりに親友に逢いました。8月10日に一緒に岐阜県恵那市の山に登つて以来でした。僕は3週間分のハグを今させてくれ!と半分冗談だけど半分マジで、9割笑って1割真顔で、訴える、前に、彼女と抱き合ったのでした。


◇9月1日。
7月からずっと安定していた僕の病状が急に悪化したのでした。健忘がときどき起こるため、正確な記憶はないのだけど、確かこの日は夜中に自転車でコンビニに行つてケーキやらプリンやらシュークリームやらメロンパンやらドーナツやらを思う存分買つて食い散らしたやうです。僕はどれだけ食い散らしても吐かない摂食障害で、食い散らした後は普通に気を失います。夜中あるいは明け方、気づいたときには食べかけのチョコレートが僕の手の中で溶けてゐることはしょっちゅうで、他には身に覚えのないゴミ(たとえばカップラーメンの空容器・お菓子の箱)などを翌朝発見して凹むこともたびたびあります。他には僕が夜中に使ったらしきパスタや素麺を茹でるための鍋、フライパン、皿・フォークなど、翌朝発見したときは本当に凹むのです、やれやれ、また僕はやらかしたらしい…みたく。
そんな日は布団から出たくありません。そもそも目覚めること自体がイヤで意識を消したくなります。仕事をしていた時は、それでも決まった時間に気合で起きて決まった時間に歯を磨いて顔を洗って化粧をして身支度をして自転車に乗って出勤していたのですが、先月からは幸か不幸か朝6時に起きる必要もなくなり、実際、昼過ぎまで寝込みます。
朝早くから電話をかけてくる友達に「起こすな!」と逆ギレしたこともある。朝目覚めた後、もう一度眠るために睡眠薬を追加服用(?)したこともある。現実逃避。そうして昼過ぎに起きたときにますます後悔するのです。


◇9月2日
月経開始。そろそろかなあとは思っていました。この日は翌日の飲み会の件でスマホが頻繁に鳴るのでした。飲み会の幹事が僕だから。この日は友達から連絡をもらったりお店のマスターに連絡を回したり。他には何もしなかったと思う。


◇9月3日
なんとか午前中に起きて、僕のもう一つの非公開ブログ(パスワード付き)の記事を数時間かけて書きました。単なる記録だけど、どうしても忘れたくない記録なので、わりと集中できました。めちゃくちゃ長い。
さて。19時からは中学校時代の同級生が経営するバーで、中学校時代の友達4人と飲み会。彼ら彼女らと集まると中学校時代と同じように話せるのだから楽しくて仕方がない。もちろん呼び方はお互い中学校時代のあだ名。
僕はcheep as possible !! と予約したのに、前菜からメインまで満足できるお料理をタイミング良く出してくれて、しかもアルコール飲み放題。ちなみに僕はビールを5杯とカクテルを3杯。いやはや楽しすぎる。
さんざん楽しんだ後、3,500円を友達に預けて、めづらしく僕が一番に帰ることに。たいていいつも最後まで残ってるのが僕なんだけど。残ってると追加料金を払って飲んでしまうに決まってるってことぐらい酔っぱらった頭でも分かる!それぐらいの酔っ払い加減で歩いて家まで帰らなくちゃいけない。なにしろ失業保険生活中だからね、飲み代もタクシー代もダイエットしないとね。


◇9月4日
のんびり起きて、午後から1年半ぶりに市営のスポーツセンターへ。昼夜逆転すると元に戻すのにとんでもなく苦労する!いや自分で元に戻すなんて僕には無理だった!ことを何となく思い出し、何もしないよりは昼間、明るい時間に体を動かした方がよさそうだと考え、ウェアとタオルと飲み物とシューズと750円を持って、自転車にまたがって施設に向かったのでした。さいわい家から3km程度です。
トレーニングGYMとダンススタジオと両方使って730円なのです。どちらか片方なら540円で使えます。GYMもスタジオも当日に限って何度再入場してもOK、だからスタジオレッスンは何本でも受けられるし、トレッドミル・エアロバイク・レジスタンストレーニングマシーンも空いていれば使い放題、ダンベルも軽いものから重いものまでわりと揃っています。
次のスタジオレッスンまで1時間ほどあったので、僕はとりあえずトレーニングGYMへ。驚いたことに7月まで務めていた老人ホームの事務員さんとバッタリ出くわしました。老人ホームは事務員でも体力いるからね~なんて話を少しして、僕は大好きな!フリーウェイトエリアへ。フリーウェイトエリアというのは、マシーンではなく、ダンベル・バーベル・ベンチ・鏡などがあるところ。僕はほとんどこのエリアしか使いません。運よくベンチが空いていたので僕はとりあえず12kgのダンベルを2つ握って仰向けに。ええ、ベンチプレスをしようと。以前僕が使っていたダンベルは16kgだから、さすがに12kgなら余裕かと思ったのに、やれやれ、12kgさえ扱えないではないか。地味にショックを受けつつ、10kgのダンベルに交換。なんとか10回できましたってば。やっぱり人間、使っていないところは錆びるね。
しかし!磨き直し可能!ということにして、その後スクワットやらロウイングやらデッドリフトやらいろいろやってみた。クランチは何とか100回できました。そうこうしているうちに、スタジオレッスン開始の時間に。
60分のエアロビクスは、最高ですエクスタシーです快感ですイッちゃいます、あ~気持ちよくてたまらない!スタジオから出るときに担当インストラクターから「あなたインストラクター?」と訊かれるのも慣れたし「そうですよ」と答えて「よろしくお願いしますね」と言って握手をするのも慣れました。僕は彼女とインストラクター事情やらを20分ぐらい立ち話して「楽しかったです、また参加しますね」と言って、またトレーニングGYMに戻りました。少しだけ筋トレの続きをして、その後マットを使って30分かけて入念にストレッチをしました。歳も歳だし、もう怪我をするのはイヤだからね。この日の在館時間は3時間ぐらい。久しぶりに「気持ちの良い疲れかた」をしました。


◇9月5日
面白いくらい、本当に笑ってしまうぐらい、狙ったところが筋肉痛。胸・ケツ・背中・脇腹・腿裏など。
何故か夜中に過食の発作。翌日の6日もそう。これが始まると酒が抜けないまま車を運転してしまうのだから怖い。コンビニまで自転車で行って、自転車を置き忘れて歩いて家に帰ってしまうこともある。今回は相当ひどくて、コンビニで調達した食料を車の中で平らげてしまい(自転車を運転しながら、あるいは歩きながら平らげてしまうこともある)その後、ファーストフード店やファミリーレストランに行ってディナー1人前をさらに平らげることもある。これだけ食い散らすと胃腸にも心臓にも血管にも当然めちゃくちゃ負担がかかるから、ほとんど眠れないし翌日は体調も最悪だし機嫌も悪い。不機嫌な僕にたまたま話しかけてしまった人、すみませんでした。


◇9月7日
1回目の失業認定を受けるため、ほぼ徹夜のフラフラの状態で午前9時20分にハローワークへ。車のハンドルを握ってびっくり!昨日の夜、車の中で食べたらしきチョコレートがハンドルやサイドブレーキにベタベタ付いているではないか!
さて本題です。失業認定を受けるためには毎月2回以上の就職活動をしたことを証明する印鑑が必要なのだけど、今回は8月末に説明会を受けたので(セミナー受講扱い)、すんなり認定してもらえました。ついでに窓口で職業相談を受け、就職活動を証明する印鑑を押してもらい、ついでにPCを使った適正診断を受けてみました。こちらは審査項目が5つあり、一項目ごとに質問が50個ぐらいあり、1時間ぐらいかかりました。検査結果はプリントアウトして持ち帰ることができます。
適性検査の結果は棒グラフなどで表示されますが、結果があまりにクッキリ分かれているので普通に笑ってしまいました。1位はスポーツ関連(89%)、2位はアート&クリエイト(72%)、3位はリーダーシップ(64%)で、途中は省略しますが、最下位はプランニング(3%)でした。企画や管理や運営や処理や情報の収集や分析などの能力が極端に低いらしい。
最も多い求人が【一般事務】ですが、僕には無理。今までやったこともないし、わざわざ苦手なことをこれから始める気力もない。就労枠をずいぶん狭くすることになるけど無理なものは無理。


◇9月9日
午前中に図書館に行って、ハローワークで受け取った【失業給付金受給資格者のしおり】を、ようやく全部読み終わりました。ついでに本を4冊借りて帰りました。滅多に読まない分野の本たちです。
1.頭のいい失業生活の知恵
2.会社のことよく分からないまま社会人になった人へ
3.イラスト図解 銀行のしくみ
4.こんなにおもしろいファイナンシャルプランナーの仕事
帰りに明日のガソリン代を用意するため銀行のATMに寄りました。初めての失業給付金が14日分振り込まれていました。


◇9月10日
朝から車を運転して、大垣市で行われる、息子のサッカーの試合を観に行きました。遅刻魔(?)の僕もこの日は余裕で間に合いました。12時キックオフ。
25分ハーフの4試合、ずっと眺めていました。僕はもうそのチームのコーチを引退したので試合中、メンバーに声をかけることはできません。素敵なプレイが出たときに拍手を送るぐらいです。息子はいつもDFですが、この日は練習試合だったのでMFもやらせてもらい1点入れました。
試合が終わって片付けも終わって挨拶も終わった後、息子の骨が折れない程度に抱きしめて、それから僕は小牧の実家に戻りました。
そういえばこの日、15時ごろ、部活を終えた中学生が応援に来てくれました。半年前までチームメイトだった男の子です。彼は未だに僕を【コーチ】と呼びます。彼は20分ぐらい試合を眺めた後、「誰々はどこそこが上達しましたね…中略…とみんなに伝えておいてください、コーチ。」と伝言を残して帰って行きました。


◇9月11日
またまた急に友達に会いたくなって、この日はちゃんと許可を得てから、夕方たくさん電車を乗り継いで友達に会いに。彼女は仕事が終わった後なのに、僕ごときの話を聴いてくれて、励ましてくれたのでした。


◇9月13日
早朝、伯父が亡くなったと連絡が入り、18時からの通夜に行きました。伯父さんは癌でした。子どもの頃、伯父さんの家に泊まったことがあります。よく一緒に遊びに行きました。毎年お年玉をくれました。僕が大人になってからもお盆やお正月にはときどき会って話をしたものでした。伯父さんは僕の娘や息子の成長を喜んでくれて、僕の娘息子にまでお年玉をくれるのでした。
穏やかな顔で眠っていました。


◇9月15日
いつもより早起きして、いつも通りしっかり朝ごはんを食べて歯を磨いて顔を洗って、車に乗って小牧から大垣に向かいました。この日は娘の中学校の体育祭を観に行きました。娘は中三なので今年で最後です。実は中学校の体育祭を観に行くのは初めてです。娘から来るなと言われていたからです。僕が中学校のグラウンドに着いたのは9時20分で、開始時刻に40分遅刻しました。娘を見つけるのに10分ぐらいかかりました。みんな同じ体操服に白い靴に白い靴下なのだから見つけるのに苦労するのです。生徒席は立ち入り禁止なので、遠くから髪型と立ち姿勢と動き方の癖などで見分けるしかないんです。僕が娘を見つけたとき、娘は他の学年の徒競走のスタートライン付近でフライングの赤い旗を上げるという仕事をしていました。他にも道具の運搬など、係の仕事をしながら競技に参加している様子でした。僕は娘をチラチラと目で追いながら、競技を眺めていました。
二人三脚や四人五脚ではなく、クラス全員で脚を繋いでグラウンドの隅から隅まで移動する、という【大ムカデ競争】が愉快でした。娘が友達と楽しそうにしているのを眺めるのは、僕の最高の栄養です。
この日、めずらしく娘は徒競走で1番になりました。保育園→小学校→中学校、全部ひっくるめて、娘が徒競走で1番になったのは初めてなんぢゃないかな。照れくさそうに喜ぶ顔がまた愉快でした。
この日、僕に声をかけてくれた保護者のみなさまとの会話も楽しかったです。



◇9月17日
またまたいつもより早く起きて、車に乗って小牧から大垣に向かいました。この日は息子の小学校の運動会でした。またまた30分遅刻しました。息子は6年生なので小学校の運動会も今年で最後です。こちらも全員同じ体操服に赤白帽子なのですが、わりと簡単に息子を見つけることができました。息子が僕を見つけて手を振ってくれたからです。ちょうど息子たちが忙しくない時間だったようで、息子と一緒にサッカー少年団のメンバーも僕に挨拶をしにきてくれて、次に息子たちが道具の運搬をするのはこれぐらいの時間で、6年生の徒競走はこれぐらいの時間で、と説明してくれたのでした。
息子を頭からつま先まで眺めた結果、彼は案外どこにいても分かりやすい恰好をしていました。全身真っ白だったのです。靴も靴下も真っ白。蛍光色や原色の靴や靴下を履いている子が多い中、靴も靴下も白!というのは珍しくて、目立つんですね。
息子も競技の間によく働いていました。仲の良い友達と一緒にその当番に立候補したのだそうです。息子の担当は2年生の徒競走のゴールラインを横からよく見て、3位になった子を3番の旗のところまで誘導し座らせる、というものでした。僕はずっとその様子を眺めていました。2年生がやたら小さく見えました。
小学校の運動会はだいたい毎年観てきたのですが、午後からの鼓笛は毎回感動します。10ヶ月前から練習してきた6年生の演奏と演技(バトン・フラッグなど)は毎年最高です。かっこいいぞ息子。


◇9月18日
体調が悪いので、朝から夜まで布団に転がって本を読んでいました。


◇9月19日
朝普通に起きて普通に朝ごはんを食べて普通に歯を磨こうとして鏡を見てびっくりしました。顎の下がパンパンに腫れ上がっていたのでした。熱を計ったら38度でした。この日は敬老の日でしたので、慌てて休日診療医を探したところ、家から2kmぐらいのところに病院があることが分かり、急いで自転車にまたがって病院に行きました。待合室はものすごく混んでいました。
医者の所見は、おたふく風邪の可能性が高い、また溶連菌感染症の疑いもある、ということでした。まず溶連菌感染症の検査をするため喉の粘膜を採取した結果、数分後に陽性反応が出ました。次におたふく風邪の検査をするため採血しました。血液検査をしないと病気の特定ができないのだそうです。こちらは結果が出るまでに1週間かかるから、そんなころにまた通院するようにと言われました。
この日は抗生物質と痛み止めと胃薬を受け取って家に帰り、ずっと布団に転がっていました。退屈なのでノートパソコンをベッドに運んで動画を観ていました。

この日の翌日、大垣の精神科で定期診察を受ける予定だったのですが、電話して感染症であることを伝えると、代理の方に薬を取りに来てもらってくださいと言われました。代理人と言ってもダンナは仕事だし実家の父も母も仕事だし、その日は薬を取りに行くことができなかったのでした。薬は診察の前日にぴったり無くなるように処方されているので、その日は手元に何も薬がなく、ちっとも眠れないのでした。毎日13錠飲んでいる薬が急にゼロになると、こういうことになるのだなあ。

その日から3日ぐらい、自分の体が自分の体ではないような感覚でした。床が回ったり、椅子に座っていてもフラフラしたり吐き気がしたり、トイレに行くにも真っ直ぐ歩けなかったりで、何もしませんでした。


◇9月22日
やれやれ。体調が悪いと体が思うように動かないらしく、魔女の一撃を喰らいました(=ぎっくり腰になりました)。ぎっくり腰になった理由は、トイレから立ち上がろうとしたから。それだけです。冷凍庫から保冷剤を引っ張り出して、直接腰を冷やしました。5時間ぐらい保冷剤を直接腰に当てっぱなし。おかげで腰の痛みは3日ぐらいでほとんどなくなりました。


◇9月25日
ずいぶん体調が回復した僕は、朝から自転車にまたがって、病院に血液検査の結果を聞きに行きました。血液検査の結果、なんと!おたふく風邪ではなく!急性扁桃炎だったようです。後遺症が無いかどうか尿検査も受けましたが、全快!ということでした。明日からいつも通り活動してよろしい、と言われスキップして家に帰りたい気分でしたが、忘れずに自転車にまたがって、帰りにビールを買って帰りました。
ほっとしたからか、この日は久しぶりに夜中に過食の発作が始まりました。この日は自転車でコンビニに行ったあとマクドナルドに寄って家に帰ったのをよく覚えています。


◇9月26日
僕の医療費受給者証は小牧市から発行されており、愛知県内の医療機関でのみ有効です。ですから大垣の精神科で発生する治療費や薬代などは、いったん窓口で負担した後、領収書を持って小牧の役所に行って、還付の手続きをしなくてはなりません。この手続きを済ませた後、そろそろ就労の相談をしなくてはならないと思い立ち、小牧市の隣の春日井市のハローワークに行き、あれやこれやと相談を受け、自転車で家に帰る途中、別記事に書いた交通事故の現場に出くわしたのでした。


◇9月27日
この日の朝、小牧市役所から郵便物が届きました。中身は「愛知県から発行された障害者手帳ができたので印鑑を持って役所に取りにくるように」という通知書でした。こんなのを読んでくださる方のために、もう1度説明させてください。なるべく短く書きますから。僕が大垣の役所で手帳の更新手続きをしたのは5月2日でした。現在9月末ですから約5か月前のことです。当時、僕の住民票は大垣市でしたので新しい手帳は岐阜県から発行されました。しかし手帳更新中に僕は大垣から転出し小牧に転入したため、愛知県から再発行し直してもらう必要がありました。ハローワークで求職活動をするにも(失業給付金の支給期間を延長してもらうためにも)必要なのでした。短くなくて澄みません。
5か月近く待ち、ようやく通知書が届いたので、もちろん僕はさっさと自転車にまたがって役所に向かいました。手帳と一緒にガソリン代補助券を受け取り、月6,000円の障害者手当を受け取るための手続きも済ませました。たまたま通帳を持ってて良かった!
役所での手続きが済んだあと、また自転車にまたがって春日井の職安に向かいました。昨日と全く同じコースです。障害者手帳の原本を持って職安で手続きをすることによって、失業給付金の支給期間が90日から300日に変更されるからです。職安でも書類を1枚書いて、でき立てホヤホヤの障害者手帳を提出し、審査を受けた結果、数分で支給期間の変更が完了しました。この日は、障害者就労専門の窓口で、わりと長時間、相談を受けました。ついでにいろいろ資料を受け取りました。昨日の事故現場のコンビニに寄って、店員さんに「昨日はお疲れ様でした」と声をかけて、タバコとビールを買って家に帰りました。事故現場はそのまま保存されていました。



___________


以上、9月の僕を正直に記録しました。
何も用事が無い日は、無料配信動画を観ていたり、本を読んでいたり、父と母と弟の夕食を作っていたり、本当に何もしないでボーっとしていたり、質疑応答サイトを覗いたり、気が向いたらトランペットを吹いたりしていました。

ものすごく元気!というわけでもないし、体調はあまり良好でない時期もありましたが、ぼちぼち生活しています。就寝時刻は22時~23時、起床時刻は7時~8時、平均睡眠時間は9時間ぐらいです。
7月末、肉体労働である老人ホームを退職した後、運動量は減っていますが、食欲は、だいたい朝から旺盛です。体重は変わりません、だいたい43kg。いつでも再就労できるように、今できることを紙にマジックで書いて壁に貼りました。
1.朝7時に起きる。
2.朝食を摂る。
3.歯を磨いて顔を洗う。
4.午前中に少しでも体を動かす。
5.夕方シャワーを浴びる。
6.日付が変わる前に寝る。

そんなのは当たり前だし誰でもできることではないか、と言ってもらっても構いませんが、僕は、その日に【僕ができたこと】を取りこぼしなく数え上げ、今日も一日お疲れ様でした、と言うことにしています。誰にって、もちろん僕自身にです。

障害者年金の書類やら職安から発行される書類やら、書類がどんどん増えていくことに辟易しています。僕は物の管理や整理整頓が最も苦手だからです。クリアファイルを5つ用意して、可能な限り仕分けし、不要なものは捨てているのですが、ときどき書類の山から逃げ出したくなります。

物の管理や整理整頓が得意な方、就労についてのアドヴァイスが得意な方、生活についてのアドヴァイスが得意な方、他、何でもよいので僕に声をかけたい方、コメント欄に何か書いてくださると喜びます。


お読みいただきましてありがたうございました。
誤字脱字は特技ですので大目に見てください。
いつも僕を励ましてくれる友人には感謝してゐます。




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9月26日14時32分 現場


僕はその日、午前中に自転車にまたがって、小牧市役所に向かい、医療費還付の手続きを済ませた後、ふたたび自転車にまたがって、春日井職業安定所に向かい職業相談および職業訓練相談を受け、それからまた自転車にまたがって、のんびり家に帰る途中、交差点でボ~っと信号待ちをしていました。

近くから激しい衝突音と叫び声が聴こえたので、音のした方を見ると、トラックにぶつかったらしき自転車が吹っ飛んでいるらしいと分かり、僕は信号が青に変わるのを待って、急いで事故現場に向かいました。衝突の瞬間から数十秒もかからなかったと思います。現場は僕が信号待ちをしていたところから、ほんの10メートルぐらいのところにあるコンビニの駐車場の出入り口でしたので。

トラックとぶつかった自転車に乗っていた人は、頭から大量の血を流し、歩道に転がって呻いていました。
トラックを運転していた人は119番通報をしていました。119番通報している彼に、現場の住所は分かるかと訊かれたので、僕はそのコンビニに駆け込んで不要なレシートを1枚分けてもらいました。レシートにはたいてい住所が書いてあるからです。119番通報していた彼に、そのレシートを届けたのですが、住所の読み方が分からないのか、彼は僕に、代わりに説明してくれと言って彼の携帯電話を僕に手渡すのでした。僕はレシートに書いてある住所を読み上げて、近くに見える建物をいくつか話して、よろしくお願いしますと言って電話を切りました。

その後、僕は110番に電話をしました。先にこちらに電話をするべきでした。110番なら住所を説明しなくても、僕の携帯電話のGPSから事故現場がどこなのか分かるからです。こちらにも、よろしくお願いしますと言って電話を切りました。

そんなころ、コンビニの店員さんや、コンビニで買い物をしてゐた人が数人、見守りに来てくれたのでした。たまたまコンビニで買い物をしていた大工さんらしき人が、よかったら使ってくれ、と言ってタオルを置いていってくれました。

改めて現場を見ると、負傷者は頭から大量の血を流し、彼が乗っていた自転車の前輪は【くの字】に曲がりタイヤのチューブは飛び出しており、トラックのほうはフロントガラスが恐ろしくバリバリに割れていたのでした。

僕は急ぐ用事もなかったので、救急隊と警察が来るまで現場に残ることにしました。さいわいトラックを運転していた人には怪我はなかったようで、負傷者を励まし続けていました。負傷者も頭部・顔からの出血がひどく、肩を骨折しているのは間違いないようでしたが、意識ははっきりしており、話は通じるのでした。
彼はよほど急いでいたようで、友達に会う時間だからと言って起き上がって家に帰ろうとするのでした。彼は自分がどのような怪我をしたのかまでは理解していないようなので、僕は急いで手当てを受ける必要があることと、動いてはいけないことを彼に何度か説明したのでした。彼はときどき痛みのため叫んだり暴れたりするのでした。たびたび「オレは死ぬのか?」「オレ生きてる?」と訊くのでした。訊かれるたびに居合わせた人みんなで「死なない!生きてる!」と答えるのでした。少しでも彼がラクになるように、僕は彼のズボンのベルトを外し、靴と靴下を脱がせた後、彼の手を握って指で脈を測っていました。

僕は救急隊が来るまでの間、彼に質問したり彼の話すことを聴いたりしていました。彼は若い男性で外国人で学生で家族と一緒に住んでいるとのことでした。自分の名前も自宅の電話番号もしっかり答えてくれました。自宅の電話番号を聞いたのは家族に連絡した方がよいと思ったからです。自宅の電話は繋がりませんでした。彼はこれから会うことになっている友達に電話をしたいと言うので、その友達の電話番号は分かるかと訊いたところ、カバンの中に自分の携帯電話があるから持って来てくれと言うのでした。言われた通りカバンから彼の電話を出して彼に渡したのですが、彼は思うように腕や指を動かすことができない様子でした。近くで見守っていた男性が代わりに彼の携帯電話を操作して、負傷者の友達に電話をかけ、負傷者の耳元で持っていてくれました。こちらもなかなか繋がらないようでした。


通報してから10分ほど経ち、ようやく消防車と救急車が到着しました。後は救急隊の方に任せることにして、僕は離れたところから様子を見ていました。その場でバイタルなどを計って応急処置をしているようでした。負傷者がどこを負傷しているかまでは分からないので、彼を担架に乗せるのに苦労しているようでした。救急車が到着してから救急車が病院に向かって動き出すまで10分ぐらいかかったと思います。

救急隊の到着から数分後、これまたようやく警察が到着しました。こちらは僕が通報者なのでいろいろ質問に答える必要があったのでした。事故の瞬間から通報までの時間やら、僕が信号待ちをしていた正確な場所やら、トラックが走っていた道は信号が青だったことやら、僕は衝突の瞬間を目撃したわけではなく衝突音と悲鳴に反応して駆けつけたことやら、コンビニの店員が、衝突の瞬間が防犯カメラに映っているかもしれないと言っていたことやら。警察の事故係の人が「場合によっては証言を文書にしてもらうかもしれないので、そのときはご協力よろしくお願いします。」というので僕は分かりましたと言って、帰ることにしました。

僕が事故現場を後にしたのは事故発生の1時間後ぐらいでした。トラックを運転していた人が、後日改めてお礼をしたいということで、僕の名前と電話番号を聞くので、小さなメモ用紙に僕の連絡先を書いて、渡しておきました。


___________

僕は知らない負傷者の手を15分ぐらい握っていただけなのですが、彼が無事だといいなあと思います。運送業者の業務も無事だといいなあと思います。

当日の夜、トラックを運転していた人の上司から電話があり、僕の家にお礼をしにくるということでした。こういうときは「結構です」というのが普通なのでしょうか。僕は運送業者の部長さんに言われた通り、僕の家の住所を話したのでした。

翌日の夕方、運送業者の部長さんの訪問を受けました。菓子折りをいただいた上、痛み入るほど丁寧なお礼の言葉を受けました。運転していた人はその日も通常通り運転業務をしているとのことでした。



以上、おととい出くわした交通事故の話でした。僕がたまたま現場に駆け付たのは、僕がたまたま車ではなく自転車に乗っていたから。僕がたまたま車を運転していたら、素通りするしかなかったと思います。


例によって長い。お読みいただきましてありがたうございました。
次は9月の記録を書く予定なのでたぶんもっと長いです。
なお、誤字脱字は特技ですので大目に見てください。ではでは。



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2016年8月の記録
 
 

7月31日を以て特別養護老人ホームを退職しました。その当日、職場の仲間が僕の送別会を設けてくれました。酒を飲んでカラオケで大声を出して、僕はとても気持ちよくなりました。解放感と仲間への感謝と酒と声と。


8月1日。猫見ました。もとい寝込みました。何もしませんでした。食事と排泄以外、布団から出ませんでした。風呂にも入りませんでした。


8月2日。厚かましくも障害者年金を受け取ろうと考え、名古屋黒川の年金事務所に行きました。Dr.に書いてもらう【診断書】と、自分で書く【申立書】を受け取りました。


8月3日。こんなのを読んでくださる方のために説明から始めます。僕が【障害者手帳】の更新を申請したのは今年5月2日でした。そのとき僕の住民票は大垣にあり、僕は【大垣市民】でした。ですから僕の障害者手帳は当然【岐阜県から!】発行されます。障害者手帳は申請してから審査を受け手元に届くまでに3ヶ月ほどかかります。僕はその3ヶ月の間に、住民票を愛知県小牧市に移しました。大垣市を転出したのが今年5月31日。小牧市に転入したのが今年6月1日。
8月3日。この日、新しい障害者手帳が交付されたとの連絡を受け、大垣の役所にそれを受け取りに行きました。ついでに僕のお気に入りの大垣の散髪屋(1,000円カット)で半年ぶりに髪を切ってもらいました。すっきりしました。手櫛が僕の髪を通る感覚が愉快でした。


8月4日。前日、岐阜県大垣市の役所で受け取った障害者手帳を持って、小牧の役所に行きました。僕の現在の住民票は愛知県小牧市なのだから、障害者手帳の住所変更をしなくてはならないからです。さいわい【障害者医療費受給者証】は、その場で発行してもらえました。これを持ってゐると愛知県内では医療費が免除されます。僕が主に必要としている医療は【精神科】ですが、他、外科も内科も歯科も接骨院も、僕が使う医療費は全てみなさまの税金で賄われる、ということになりました。税金を納めているみなさまは、僕のやうな人間にツバを吐きたくなるのでせうね。
しかしこの日に小牧の役所を訪れた主な目的は【障害者手帳の住所変更】でした。岐阜県から発行された手帳を愛知県から再発行してもらう、というものでした。僕は岐阜県大垣市で手帳の更新手続きをしてから発行されるまで3ヶ月待ち、やっと発行された手帳を愛知県小牧の役所に持って行ったのでした。
岐阜県大垣市からやっと発行された手帳は、愛知県小牧市の役所でその場で没収され、愛知県から僕の手帳が再発行されるまでに3ヶ月かかると言われたのでした。地味にショックでした。僕はその手帳を持ってハローワークに行き、就職活動しようと思っていたからです。障害者枠での就職活動をしようと思っていたからです。
念のため、やっと届いた障害者手帳を没収される前に、手帳のコピーをくださいと役所の人にお願いしまして、今現在、手帳のコピーだけは手元にあります。



8月9日。友達が僕を登山に誘ってくれました。彼女は槍ヶ岳など3,000mの山に遊びに行く登山家ですが、初心者の僕のために標高800mの山を選んでくれました。登山に必要なものは最低これこれだから準備しておけと彼女が教えてくれました。
バックパックにタオルや着替えや帽子や非常食やゴミ袋や飲料水を詰めるという作業も、僕にとってこの上なく楽しかったのでした。明日、運動会や遠足に行く保育園児や小学生のごとく、ぼくはドキドキわくわくして僕は気持ちよく興奮していました。翌日は暑くなる前に山に登るためということで、5時半に待ち合わせでしたので、僕は安定剤や睡眠薬をDr.に許可された範囲でしっかり飲んでしっかり休むことにしたのでした。薬は効かないこともあるのだけど、この日は何故か効いてくれました。



8月10日。今年から制定された【山の日】は8月11日なのだけど、僕はその前日に山に登りました。ちゃんと午前4時に起きて、山でぶっ倒れないやうに栄養補給をして、5時半の待ち合わせ場所に向かいました。待ち合わせ場所は友達の自宅と僕の自宅の中間の【多○見市】でした。車で多治見市に向かう途中、東から鋭い角度で僕を刺す朝日があまりにも眩しすぎて僕の目が痛くて運転が困難でしたので、僕は僕の視界が多少まともになるやうに濃い目のサングラスを使ひ、なんとか待ち合わせ場所まで辿り着きました。ほっとしましたマジ。僕が着くより前に友達が僕をそこで待っていてくれました。
待ち合わせ場所から少し移動した広い駐車場に僕の車を勝手に泊めさせてもらひ、僕は友達の車の助手席に乗って、岐阜県恵那市に連れて行ってもらいました。朝6時~7時まで僕は友達と、ああだこうだ、しかしああでもなくこうでもない、と思うんだけどアンタどう思う?と言ってくだらないこともくだることも含めてあれこれ話してゐるうちに恵那市の【屏風山】の麓に着いたのでした。
彼女は僕の飲料水1リットルを自分のバックパックに入れて運んでやると言いました。嬉しかったなあ。それから僕と友達は手を繋いで、ええ文字通り手を繋いで屏風山に登り始めたのでした。手を繋いで登ることができたのは歩きはじめて15分ぐらいでした。急に道が険しくなりました。彼女は僕に【ここからはキミが先に歩け】と言いました。僕は【どうして?僕が先に歩くの怖い!】と訴えたのですが、彼女は【いいからあなたのペースで歩きなさい】と言うのでした。僕は、分かった、と言って、木の根っこや岩や枯れ葉を踏んで山頂に向かって僕のペースで歩いたのでした。土や枯れ葉を踏む感触とか植物が発する空気の香りとか滝の香りとかツクツクホウシの旋律とかウグイスのメロディとか初めて聴いた山ゼミのやかましい色とか、僕は山を歩きながらすっかり感激していました。【キミのペースで歩け】と言った彼女は、僕のペースに合わせて後ろから見守っていてくれたのでした。
山頂まで登り切ったとき、僕は思わず彼女と抱き合いました。山頂から僕と彼女が観たのは岐阜県瑞浪市の街並み岐阜県土岐市の街並み多治見市の街並み、それからぼんやりとだけど、愛知県の街並みも見えました。僕は感激しました。山に登るとこんなに遠くまで見えることに単純に感激しました。
彼女は普段から高い山に登っていますから、彼のバックパックの中には当たり前にカップラーメンや水やコンロが入っていたのでした。彼女は山を下りてから、コンロと水とカップラーメンを出して、湯を沸かしてそれはそれは美味そうにカップラーメンを食したのでした。カップラーメンを喰らいながら彼女は僕に言いました【キミならビールなんだろうね、よし、今度からキミはビール持ってきなさい!格別に美味いよ、きっと!】。この日はものすごく心地よく疲れました。



8月15日。岐阜県大垣市在住の娘と息子が現在の僕の住処である愛知県小牧市に遊びにきてくれました。普段、僕は娘や息子と接する機会があまりないのだけど、この日は息子と手を繋いで墓参りに行き、娘とトランペットバトルをしました。普通に楽しかった。

◇8月16日
前日、僕の実家に遊びに来た娘息子は、この日はダンナの実家へ。ええ、珍しく僕も一緒に行きました、大嫌いなダンナの実家へ。お義母さまが市民病院でアタマのMRIを撮り、間違いなくアルツハイマー病だと診断されたのが2年前。
僕が今年8月16日に会ったお義母さまは僕の想像を超えていました。彼女は僕の顔を覚えてゐませんでした。僕のダンナに「アンタ結婚してたっけ?」と言いました。僕はあなたの息子の妻であり7mとtelmaXの母ですよ、と話すと、彼女は 7m?telmaX? うん、なんか聞いたことあるけどそれ誰だっけ?と言うのでした。
お義父さまとも話をしましたが、お義母さまは、スイッチが入ると暴言を吐いたり暴力を振るったりするのだそうで、お義父さまはしょっちゅう怪我をしており、しかしお義母さまは怪我をさせたことすら忘れているのだそうです。またお義母さまは犬がお好きで(高級な犬です)、犬の散歩はできるのだけれど、犬が気に入らない行動をするとそこに犬を置き去りにして家に帰ってしまふのださうです。お義母さまの話では自分は1日2回犬の散歩に行っている、ということでしたが、お義父さまの話では1日5回か6回なのださうです。お義母さまの身体はいたって健康らしいと知って安心したのですが、お義父さまの話に少し心が痛み、しかし僕はその日は何も言わずに自分の部屋に戻りました。僕が疲れたからでした。
後日、介護認定申請書を老人ホームの地域包括センターで受け取り、お義父さまに書類を渡しに行き、僕も同行すると伝えたのですが、お義母さまが病院に行くことを拒んでいる以上、申請は難しいとのことでした。


◇8月17日
以前から職場に要求していた【雇用保険被保険者証】【離職票2種類】が愛知県小牧市の自宅に届いたので、必要なものを全て揃えて地元のハローワークに行きました。求人登録をしたあと、失業給付金の手続きを開始しました。必要書類の他、役に立ちそうなものは全て持参しました。たとへば障害者手帳のコピー・Dr.が今年5月に書いた僕の診断書のコピーなど。


◇8月21日
この日は朝から夕方まで大垣市と関ヶ原町の間の不破郡垂井町というところで息子が所属するサッカーチームと近隣チームとの試合が行われました。僕は方向音痴なので車に自転車を積んで垂井町に向かい、R21というわりと広い道沿いのわりと広い駐車場に車を停め、その駐車場で車から自転車を降ろし、自転車を7km走らせて山奥のグラウンドに向かったのでした。自転車を走らせるのもなかなか気持ちいい。僕が試合会場に着くと息子は極めて照れくさそうに極めてぶっきらぼうに僕を歓迎してくれました。僕は数年前までそのサッカーチームでコーチをしてゐました。息子の他にも僕が現れたことを喜んでくれた少年少女たちがゐました。うれしかったなあ。



8月23日。11年前から通っている岐阜県大垣市の精神科に定期診察に行きました。診察時間は15分ですから、現在の僕の状況を短い診察時間内にDr.に伝えられるやう、紙と鉛筆を使ってまとめておきました。この日、ハロワに提出する【不足書類】をDr.に記入していただきました。☆1.僕は退職を申し出た時点で労働を継続することが不可能であった。☆2.しかし現在の僕はいたって健康であり環境や労働条件次第で就労は可能である。
この書類を書いてもらうことによって、失業給付金受給者の扱いがずいぶん変わります。僕は僕が受け取ってしかるべき給付金を受け取るべく、Dr.に本当のことを書いてもらっただけですが何か?



8月24日
前日、Dr.に書いてもらった書類を持ってハロワに行きました。【正当な理由のある退職】ということで普通に受理されました。


8月25日
初回失業給付金受給者を対象とした説明会を受けるため、愛知県春日井市のハローワークに行きました。14時から16時まで、2時間の説明を受けました。こんなころ僕の摂食障害の発作が数日間ひどかった。胃袋が壊れるかと思った。苦しくて家から出ることはおろか布団から出ることすらできなかった。こんなころgrass-rootsさんという僕の親友の【愛なき世界】といふ質問が目に留まり、僕は何か話したくなった。僕は彼の親友だから中立的な回答は結局できなかった。



8月27日
僕は急にどうしても友達に会いたくなったのでした。
夕方16時に小牧線に乗って名城線に乗って中央線に乗って愛知環状線に乗って、少し遠方までたくさんの電車に乗って、アポ無しで、勝手に、友達に会いに行ったのでした。ちょうど彼女の仕事が終わる18時半ごろ、僕は駅のホームに着いたのでした。友達はは僕を少し叱りました。その後、電車の中でたくさん話したのでした。



8月28日
僕の2つ下の弟が40歳の誕生日を迎えた。彼は生まれつき僕よりずっと苦しかった。僕は40歳の誕生日をシラっと迎えた弟を誇りに思ひます。こいつすげえな!って思ひます。彼は僕と同じ精神障害者2級だけど、彼に吹き付ける風は、僕に吹き付ける風よりずっと激しく乱暴だったはずで、彼は僕よりずっと痛かった。いえ僕は弟を憐れむというやうな失礼なことは決していたしません。ただ感心しています。40年間お疲れ様、壊れ物同士、これからもよろしくどうぞ、と思ふだけです。


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今月のだいたいの記録です。
7月上旬から8月下旬までだいたい体調も心理状態も安定していました。8月下旬に多少の発作を起こしましたが僕の生になんら問題はありません。
肉体労働である特別養護老人ホームを退職しましたので、運動量は減少しています。職場まで往復4km自転車通勤していましたが、今はそれもしていません。
飲酒量は肉体労働をしていた頃とあまり変わりません。体重は今のところ変わりません。43kg。
用事が無い日は無料配信動画でドラマや映画を観ています。気が向いたら教えてgoo!に投稿したりもします。
だいたい24時に処方された通りの薬を飲んで就寝し、朝は6時~9時の間に目が覚めます。アラームはセットしません。朝から食欲旺盛です。ありがたいことです。



以上、僕の2016年8月の正直な記録でした。
お読みいただきましてありがたうございました。





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4日後28日に14歳になる娘へ。
残念ながらその日は
別の用事があるので、
ちょっと早いけど先おめ。





昨年創作したケーキ
が これ↓なんですが、

娘バースデイ

娘息子が これぢゃ
ケーキが見えないぢゃないか!
と言いますので、





今年はわりとシンプル
に作ってみました。
これなんですけどね。

IMG_0429.jpg


ポメラニアンのつもり、
だったのだけど、

娘には、わ!ウサギ?と言われ、
息子には、お!ライオン?と言われ。




ああもういいよ、
ヨークシャテリアでもシーズーでも
トイプードルでもチワワでも
パピヨンでもマルチーズでも
な~んでもいいっす。

人によって色々に見えるのも
なかなか愉快ぢゃ。



娘と息子へ。
今日はオカンと遊んでくれて
ありがとう。


ステーキ、美味しかったね。

 


 


 


               2U


 




 

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